お話の国 シリーズ2 詩を語る1〜11 

お話の国 シリーズ2 詩を語る1

明日輝く星たちのはなし

片岡輝

 明日の語り手たちを育てるプロジェクトが語り手たちの会の創立40周年を記念して、チーム横浜のメンバーを中心にスタートし、3月4日、詩人の谷川俊太郎さんと作曲家の谷川賢作さんをお迎えして長津田のみどりアートパークで、小学3年から保育士までの12人の語り手が、すばらしい語りを聞かせてくれました。その中の6人は、福島県田村市の女子小学生でした。地元の言葉で地元に伝わる昔話を、かわいい和服を着て語った姿が強く印象に残りました。

横浜を中心にして首都圏から集まった6人は、ミラン・マラリーク、安房直子、こがようこ、大竹麗子、谷川俊太郎の作品を身振り手振り、表情豊かに語りました。誰もが夜空にきらめく12の星のように輝いていましたが、谷川さんの詩「えをかく」を語った松崎宝夏(小5)さんと、マラリーク作「あなのおはなし」を語った大井田佳穂(小4)さんの二人に「ブルースター」賞が贈られました。二人の語りは、さながら妖精が「語るパントマイム」を演じているかのようで、聞き手をうっとりとさせました。

かねてから、もっと詩を語りで取り上げてほしいと願っていた私は、明日の語り手たちから勇気をもらって、日ごろから書きためている詩を、「お話の国」で紹介して行こうと決心しました。決心とは、少々大袈裟ですが、語り手のみなさんのレパートリーに加えていただけたらこんなにうれしいことはありません。「青い地球にことばの種を!」を種の一つに詩もぜひ加えてください。

わたしが生まれた日

わたしが生まれた日
その日は朝から雹が降り
おまけに雷まで落ちてきて
わたしがおぎゃあと産声を上げると
天から鬼の子がやってきたと
大騒ぎになったそうな
ところが角も生えていないし
眼に入れてもいたくないほど
可愛い赤んぼだったので
天からの授かりものと
大喜びになったそうな
わたしが思うに
これは祖父か祖母が
作った話に違いない
初孫を抱いて小躍りしている
二人の姿が目に浮かぶ
生まれて今日まで
いろいろなことがあって
父母にはたくさんの
苦労と心配をかけてきた
いまだって口げんかがしょっちゅう
照れくさくってなかなか素直になれなくて
バースデイケーキのろうそくばかりが増えていく
こころのなかで叫びたい
いのちのくさりを受け継いで
たくさんの愛に包まれて
わたしの今日がここにある


*この詩は、神坂真理子の作曲で同声合唱曲として全日本合唱普及会から楽譜が出版されています

お話の国 シリーズ2 詩を語る2

ある大人が書いた「心」への手紙

片岡輝 文    
新田まゆ 絵(刺繍)

なたに初めての手紙を書いています。

 考えてみれば、あなたとは、私が生まれたときからの長いお付き合いなのに、こうしてあなたに向かって私の気持ちを書くのは、今日が初めてのことなんですね。

 まだ、字も書けないほど幼かったころ、あなたと私は大の仲良しでした。あなたが感じるままに、泣いたり笑ったり、すねたり怒ったり、鼻唄を歌ったり叫んだり、しょんぼりしたり威張ったり……気ままにのびのびとふるまっているうちに一日が過ぎて行き、目が覚めると、もう、次の日の朝になっているのでした。そのころは、あなたが私のなかに住み着いていることなど、考えてもみませんでした。

 れは、たしか小学4年生の2学期のこと、クラスに転校生がやってきて、私の隣の席に座ることになり、その子が、私の眼をまっ直ぐに見て、にっこりと笑いかけてきたのです。私の心臓は、100メートルの徒競走をした後のようにドキンドキンと激しく打ち始めました。顔も真っ赤になっていたに違いありません。でも、

私は、みんなに本当の気持ちを見破られないようにツンとそっぽを向いてしまったのです。仲良くなりたい、友達になりたいというあなたの願いに、なぜか素直になれなかったのです。その時から、あなたと私の戦いが始まりました。私は自分の気持ちをおさえ、感じないふりをし、隠して、あなたを無視しました。そうすることが大人になることだと思いこみ、あなたに勝って大人になりました。

も、私は、決して幸せではありません。あなたと仲良くしている子どもたちに出会うと、私が力づくでねじ伏せたあなたが、むくむくと起き上がって、自由に羽ばたこうともがいているのを感じます。もう一度、あなたの声の素直に耳をかたむけて、いろいろなことをやり直してみたいと思います。この手紙と、私の切なる願いが、あなたに届きますように。

こころのありか

こころって どこにあるの
ママにきくと
「さあね、パパならしってるかもしれないわ」
そこで パパにきくと
「はて どこだっけ そう せんせいならおしえてくれる」
そこで せんせいにきくと
「そういうことは ほんをよんで しらべると わかる」
そこで ほんをよむと
「むかしのひとは かんがえた こころは しんぞうにある と
べつのひとは こういった こころは あたまのなかにある と
けれども しんぞうを かいぼうしても
あたまを Xせんで のぞいてみても
こころのありかを つきとめることは できなかった」
そうか そうか そうなのか
こころのありかは なぞなんだ
でも あるってことは たしかだよ
だって だれかを すきになると こころが ざわざわ さわぎだすんだもん
こころ こころ こころさん
どこにあるかは しらないけれど
あなたがあって ほんとうによかった

*この詩は、鈴木憲夫作曲の同声合唱組曲として、音楽之友社から出版されています。

じーじの80歳の誕生を祝って、似顔と80を刺繍しました。
小学2年生の時の作品です。

お話の国 シリーズ2 詩を語る3

ころがる君は美しい

文と詩 片岡輝

 転がる石は、現在から未来へと時間とともに移動し続けています。
でも、いつかは重力と摩擦のブレーキによって止まってしまいます。
 遠い昔からじっとそこにあった化石の中には、太古の時間が止まったまま閉じ込められています。
 生き物もまた、生まれた瞬間から転がる石のように、未来へ向かって生き、与えられた命が尽きるとともに死を迎えます。 
「転がる石には苔が生えない」という諺がありますが、死者が永遠の眠りについている墓石には苔が生えています。
生きるということは、苔が生えないように転がり続けるということです。
転がって行く先には、楽しいこと、うれしいこと、ドキドキすること、つらいこと、悲しいこと、ハラハラすること…いろんなことが待っています。でも、どんなことに出合っても、止まってしまえばおしまいです。
どんなに苦しくても、どんなにスピードが落ちても、転がり続けること、それが、いきるということなのです。

詩 ころがる石のように

きらきらと光る水面にむかって
アンダースローで石を投げる
石は勢いよく水面にはじかれて
三つ飛んで沈んだ
やがて三つの波紋も波に消えた

山の尾根を歩いていて
足許で石が崩れた
石はちいさくジャンプしながら
斜面を転がって
やがて見えなくなった

重力に逆らって飛ぼうとした石も
重力に導かれて落ちて行った石も
たどり着いた場所で
じっと
石であり続ける

石は波を切って飛んだ時のことを
急斜面を転がり落ちた時のことを
覚えてはいないのだろうか?
動かない石のように生きることはぼくにはできない
いのちのかぎり転がり続ける
Like a rolling stone
Like arolling stone

*この詩は、森山至貴さんの作曲で同声合唱組曲になり、
楽譜は、全日本合唱普及会から出版されています。

お話の国 シリーズ2 詩を語る4

四季の人

文と詩 片岡輝

1986年に出版された『風の功績』は、池辺晉一郎さんの作曲で8編からなる青春をテーマにした合唱組曲です。その中から1編づつ紹介して行きます。
今月は「四季の人」で、青春の愛についての詩です。

四季の人

夏の陽射しそのままに
まぶしい人
あなたの熱い息吹に
私は陽炎となって
アスファルトの路上でゆれています

澄んだ泉のように
きよらな人
あなたの深い瞳に
私は囚われとなって
愛する苦しみに泣いています

青い木の実そのままに
すっぱい人
あなたの堅い胸に
私はこの耳を寄せて
命の昂りを聞いています
秋の野分そのままに
気まぐれで
樹氷そのままに
透明で
春雨そのままに
やさしくて
私の心を盗んでいった人
それは誰れ?

お話の国 シリーズ2 詩を語る5

あこがれ

文と詩 片岡輝

昔の人は、青春を「疾風怒濤」に例えました。朝にロダンの考える人を気取ったかと思うと、昼にはグランドのアンツーカの上で、9秒の記録達成を夢見て短距離走法にチャレンジする。夕べにはキーボードをたたいて「世界の終わり」に酔いしる。精神も肉体も激しい嵐となって、時の流れに身を任す。支離滅裂が青春です。

今月はそんなナイーブな少年を描いた「あこがれ」。男の子の青春についての詩です。

あこがれ

少年が
旅に心をひかれるのは なぜ
未知へのあこがれが
たくましい肉体に
沸き立ち騒ぐから

少年が
夢に命をあずけるのは なぜ
愛へのあこがれで
きよらかな魂を
みたしていたいから

少年が
背なかをまるめるのは なぜ
移ろうはかなさを
自らの足音に
聞き取り竦むから

少年老いやすく
学成りがたし
成りがたきは
学のみにあらざれば
友よ
疾く生き 疾く走れ
あこがれの色あせぬ
そのうちに

*この詩は、池辺晉一郎さんの曲で、混声合唱組曲『風の航跡』(音楽之友社)に収載されています。

お話の国 シリーズ2 詩を語る6

タイムマシン

詩 片岡輝

個人の記憶や思い出を歴史と結びつけてみると、
いろいろなことが、違った角度から新鮮に見えてきます。
今日は、my birthday  
生きて来た道を振りかえるいい機会です。
この詩は8年前に書いたものを部分的にversion upしたものです。
詩も年とともに変化します。

タイムマシン

いまから一分前 私は歌い始めた
いまから一時間前 私は笑っていた
いまから一日前 私は明日のことを考えていた
いまから一と月前 私は星を見ていた
いまから一年前 私は一つ歳をとった
いまから十年前 私は赤ちゃんだった
いまから二十年前 父と母が出合った
いまから三十年前 テレビゲームが発明された
いまから四十年前 父と母が生まれた
いまから五十年前 宇宙飛行が成功した
いまから六十年前 祖父と祖母が生まれた
いまから七十年前 戦争があった
いまから八十年前 
九十年前
百年前
数え切れない出来事と出会いがあった
遠い昔があり人がいたから
いまこの世界がある
私や君がいる 

お話の国 シリーズ2 詩を語る7

季(とき)

詩 片岡輝

この詩は、世田谷うたの広場の新作コンサートのために書きました。
来年の5月には、作曲者のどなたかによって曲となって、どなたかが歌ってくださいます。
感受性豊かな思春期の四季を描いたものです。
みなさんは、四季というキャンバスにどのような物語を綴られるでしょうか。

季(とき)

私たちが出会ったのは春
咲き競う花の香りにつつまれて語り明かしたあの日々
つばき れんぎょう じんちょうげ
すみれ たんぽぽ きんせんか
いまはただ愛おしく

気がついたら汗ばむ夏
山深い滝のしぶきに身を打たせ心澄ませたあの日々
おなが かわせみ みそさざい
すずめ やまどり きせきれい
いまはただ懐かしく

沁みとおる大気に秋を知る
ペガサスの星のゆらぎに誘われて飽かず見入ったあの日々
麒麟 大熊 カシオペア 
双子 オリオン ペルセウス
いまもなおきらめいて

怒濤さかまく冬の海
牙むく白い大波に負けじと挑み打ち克ったあの日々
怖れ 絶望 あきらめ
祈り 希望 夜明け
いまもなお忘られず

季とともに私たちは生き
季とともに記憶は積み重なる
命尽きるまで

お話の国 シリーズ2 詩を語る8

人里から千マイルはなれて 星からの小さな王子へ

詩 片岡輝

いま、研究ゼミ(片岡ゼミ)では、サン・テクジュペリの『星の王子さま』を素材にして、
新しい物語の創作を進めており、素晴らしい作品が生まれつつあります。
次のシリーズ4で紹介したいと思っていますが、1986年に出版した池辺晉一郎さん作曲で
発表した『時の記憶』の中に『星の王子さま』をテーマにした詩があったことを
思い出しましたので、読んでいただきたいと思います。語ってくださると嬉しいです。

人里から千マイルはなれて

昔の人はいいました
会うは別れのはじめ
愛は悲しみの泉
命ははかない幻と

でもぼくたちは
もう出会ってしまいました
愛してしまいました
幻であるが故におたがいを
一層激しく求め合い

人里から千マイルはなれて
地の果ての砂漠が
こんなにも美しく
棘のあるバラが
こんなにもやさしく
疑い深いきつねが
こんなにも善人で
牙のあるへびが
こんなにも親切だと
教えてくれたのは
星からやってきた
小さな王子
あなたです

昔の人はいいました
時は流れて還らず
愛は移ろい揺れる
命は羽毛よりも軽いと
でもぼくたちは
もう選んでしまいました
信じてしまいました
幻であるが故におたがいを
一層激しく求め合い

人里から千マイルはなれて
別れのかなたの
永遠がなんであるかを
教えてくれたのは
星へ還っていった
小さな王子
あなたです

*混声合唱組曲の楽譜は、音楽之友社のWEBでon-demandで購入できます

お話の国 シリーズ2 詩を語る9

幼子の見る夢は

詩 片岡輝

今年も残るところ一週間を切ろうとしています。
幼子たちは、指折り数えながら待ち望んだクリスマスを前に、
どんな夢を追いながら夢路を辿るのでしょうか?
願わくば、悪夢にうなされることなく、天使の笑みを浮かべながら
サンタクロースに托したささやかな幸せを手にする夢を見て欲しい、
大人たちの切なる願いです。

幼子の見る夢は

出来ることなら君の見ている夢を

私も一緒に見てみたい

嬉しい夢ならきっと心が弾むだろう
楽しい夢なら寝顔に笑みが浮かぶだろう
悲しい夢なら泣きじゃくるかもしれない
何かに追いかけられる夢なら
私が何かの前に立ちはだかるよ
君の寝顔を見ていると
君が見ている夢の世界が私にも見えるようだ
君の夢の中に私がいるだろうか
私の姿はたぶんまぶしい光の中に溶け込んで見えることはないだろう
それほど君の夢の世界は大きくて
はるかな未来につながっている
私に出来ることは
君が夢を見る夜が平和であることを守ること

(2018/12/23)

お話の国 シリーズ2 詩を語る10

新しい年の始まり

詩 片岡輝

1月1日を年の初めとして祝うのは、太陽暦を採用している国々です。
月の満ち欠けを基準にしている太陰暦の1月1日は、その年によって太陽暦の1月21日か2月20日までのいずれかの日に毎年変わります。
その日を旧正月として祝う風習が今も残っており、中国では、春節と呼んで水餃子を食べて祝います。お隣の韓国ではクジョン、ベトナムではテト、日にちは違っても新しい年の始まりを寿ぐ心は共通です。

詩 新しい年の始まり

新しい年が始まると
古い年はどうなっちゃうの?
もういらないの? 捨てちゃうの?
でも 時間はつながってるのだから
なくなっちゃうはずはないよね?
なくならないと思うけどけど 過ぎてしまった時間を 
二度と繰り返すことはできないよね。
でも その時間に考えたことやしたことは
心や体の中に記憶として残っていると思うんだ
だって 過ぎ去った時間があるから
いまのぼくがいるんだから
新しい年にどんなことをしようかな
あれもこれも
したいことがいっぱい

この次の新しい年の始まりには
誕生日ケーキのように
ロウソクが増えていくと
楽しいだろうな
そのロウソクがチョコレートで出来ていたら
もっと嬉しい

お話の国 シリーズ2 詩を語る11

ふしぎなたね

詩 片岡輝

古いノートの切れ端に、不思議な種が眠っていました。
いまから50年ほど昔書いた走り書きに少々手を加えて、
詩のようなものにしてみました。
声に出していただけたら幸いです。

ふしぎなたね

どこからきたのかわからない
くろいぼうしのおじさんが
ちいさなたねをもってきた
よくひのあたるつちのなか
うめてたくさんみずをやり
だいじにそだててやるんだよ
それだけいうとおじさんは
かぜといっしょにいなくなる

なんのたねかはわからない
くろいぼうしのおじさんの
ちいさなたねをまいてみた
よくひのあたるはるのひに
うめてたくさんみずをやり
だいじにそだててやりますと
ちいさなあおいくさのめが
あるひとうとうかおだした

なんのめなのかわからない
くろいぼうしのおじさんの
ちいさなふたばのびていく
よくひのあたるまどぎわで
のびてたくさんはをつけた
だいじにそだてているうちに
つぼみがふたつげんきよく
あるひ ひよっこりかおだした

なんのつぼみかわからない
くろいぼうしのおじさんの
ふたつのつぼみふくらんで
つきよのばんのまよなかに
ぱっとひらいてはなさいた
なんのはなかはわからない
けれどもとってもいいかおり
あさつゆあびてさいている

くろいぼうしのおじさんは
あれからすがたをみないけど
いつかどこかでまたあって
たねのおれいをいいたいな
すてきなはながさきました
はながちったらたねができ
こんどはわたしがそのたねを
どこかのこどもにとどけましょう

お話の国 夏の盛りの特別篇